なぜ押井守と富野由悠季の作品は、何十年経ってもまた観てしまうのか

はじめに

最近、アニメ映画『人狼 JIN-ROH』を観た。

いや、正直に言う。

ストーリーは一回観ただけではよく分からなかった(笑)。

公安、首都警、特機隊、そして「人狼」。

誰が誰を利用していて、どこまでが計画だったのか。

観終わった直後は「結局どういうこと?」という部分もかなり残った。

ところが、不思議なことに満足感はある。

というか、

めちゃくちゃカッコいい。

特に地下水路に現れるプロテクトギア。

暗闇に浮かぶ赤いレンズ、重たい足音、MG42の凄まじい銃撃。

最近のアニメとは明らかに違う、手描きならではの「重量」が画面から伝わってくる。

『人狼 JIN-ROH』は2000年公開の作品だ。

それを知って驚いた。

もう四半世紀以上前の作品なのに、画がほとんど古びて見えない。

監督は沖浦啓之、原作・脚本は押井守。

なるほど。

観終わってから妙に納得した。

「よく分からないのに、また観たくなる」

考えてみると、自分は押井守作品で同じことを何度も経験している。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』。

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』。

どちらも一度観れば十分な映画ではない。

むしろ一回目では、全部理解できていない。

政治、組織、社会、個人、虚構と現実。

難しい台詞が続き、派手なアクション映画を期待すると延々と会話している場面まである(笑)。

それなのに、しばらくするとまた観ている。

「今日はパト2でも観るか」

と深く考えたわけでもない。

気がついたら再生ボタンを押している。

そして何度も観ているはずなのに、

「あ、この台詞ってこういう意味だったのか」

「こんなカットあったっけ?」

と、また何かを発見する。

これは結構すごいことだと思う。

富野由悠季作品でも、まったく同じことが起きる

そして自分の場合、もう一人いる。

富野由悠季だ。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』など、何度観たのかもう分からない。

ストーリーは知っている。

結末だって当然知っている。

それなのに、また観る。

若い頃に観たときと、今観たときでは印象も違う。

昔ならモビルスーツ戦を追いかけていた場面で、今はシャアやアムロの会話を聞いていたりする。

クェスやハサウェイに対する見方だって変わってくる。

そして相変わらず、

「シャア、お前はいったい何がしたいんだ」

と思ったりする(笑)。

それでも、また観る。

押井と富野は、まったく違う

面白いのは、この二人の作品が似ているわけではないことだ。

むしろかなり違う。

押井作品には「間」がある。

風景を映す。

人が歩く。

雨が降る。

犬がいる。

そして難しい話を延々とする(笑)。

観客を少し離れたところに立たせて、

「お前はこれをどう思う?」

と考えさせるような感じがある。

一方の富野作品は猛烈だ。

台詞も展開も速い。

人間が次から次へと感情をぶつけ合う。

こちらが理解するのを待ってくれない。

「とりあえず全部ぶち込むから、お前がついてこい」

という勢いすら感じる。

押井守は立ち止まらせる。

富野由悠季は走らせる。

方法はまったく違う。

なのに結果として、

どちらも一回では消化できない。

だから、また観る。

一回で全部分かってしまわないことが、作品の寿命になる

最近の作品を観ていると、非常に親切な作品も多い。

設定を説明してくれる。

人物の感情も説明してくれる。

伏線も分かりやすく回収してくれる。

もちろん、それはそれで気持ちいい。

ただ、一回観て完全に理解してしまうと、それで終わってしまう作品もある。

押井作品や富野作品は、その逆なのかもしれない。

分からないものが残る。

引っかかる台詞が残る。

妙な場面が記憶に残る。

だから何年か経つと、また確認したくなる。

しかも自分自身が歳を取っているので、同じ作品なのに違って見える。

これは強い。

何十年も「再生」され続けるという凄さ

『逆襲のシャア』は1988年。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』は1993年。

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は1995年。

そして『人狼 JIN-ROH』は2000年公開。

普通に考えれば、もう「昔のアニメ」である。

ところが自分の中では、それほど昔の作品という感じがしない。

動画配信サービスなどで見つけると、

「あ、久しぶりに観るか」

と普通に再生してしまう。

これは自分だけではないと思う。

同じような経験をしている人は結構いるんじゃないだろうか。

「名作だから観なければ」

ではない。

「勉強のためにもう一度観よう」

でもない。

なんとなく、また観たくなる。

そして再生すると、結局最後まで観てしまう。

作品にとって、これ以上強いことがあるだろうか。

監督の名前だけで再生してしまう

押井守。

富野由悠季。

この二人の場合、作品タイトルだけではなく、監督の名前そのものに力がある。

「押井が作ったなら観てみるか」

「富野の新作なら、とりあえず観る」

それが成立する。

しかも二人とも、決して視聴者に優しい監督ではない(笑)。

難しい。

説明しない。

クセが強い。

時には「何を言っているんだ?」となる。

それでも観てしまう。

いや、もしかすると、

その面倒くささがあるから、何十年経っても観ているのかもしれない。

全部分かってしまわない。

全部消費させてくれない。

だから作品が自分の中に残り続ける。

『人狼』も、たぶんまた観る

今回の『人狼 JIN-ROH』もそうだった。

初見ではストーリーを完全には理解できなかった。

でも、あの映像は頭に残っている。

プロテクトギアの赤い目。

地下水路。

重たい銃声。

伏と圭。

そして「赤ずきん」の物語。

たぶん、また観ると思う。

次に観たときには、今回とは違うところを見ているはずだ。

そう考えると、

「何度観ても面白い作品」より、「なぜか何度も観てしまう作品」の方が、本当は凄いのかもしれない。

押井守と富野由悠季。

作風はまったく違う。

それでも何十年もの間、視聴者に再生ボタンを押させ続けている。

それだけで、この二人がとんでもないクリエイターであることは十分証明されている気がする。

そして二人とも、まだ現役だ。

もう少しだけ。

いや、できるだけ長く。

また自分たちが何度も再生したくなるような、面倒くさくて、クセが強くて、忘れられない作品を作り続けてほしい。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です