『VIVANT』は堺雅人の顔芸ドラマ?──考察より「予定調和」を楽しむ作品だった

『VIVANT』は堺雅人の顔芸ドラマ?──考察より「予定調和」を楽しむ極上エンタメ

『VIVANT』を観ていて、ふと思った。
これ、もしかして「堺雅人の顔芸を楽しむドラマ」なのではないだろうか。

もちろん、規格外のスケールで描かれる本格スパイ劇であり、裏切り、潜入、偽装工作など、緻密な考察要素は山のようにある。しかし、この作品独特のリズムを掴んでくると、自然と見方が変わってくる。

「裏切り」も「死亡」も、額面通りに受け取ってはいけない

本作において、登場人物の「裏切り」や「死」をそのまま信じるのは早計だ。裏切ったように見えても真意は別にあり、命を落としたように見えても平然と生きている。そして最後には、お決まりのようにこう明かされる。

「実はすべて、最初からの計画通りでした」

劇中でショッキングな展開が起きるたび、「いや、本当にそのまま受け取っていいのか?」と疑ってしまう。もはや『VIVANT』において、素直に信じるほうが難しい。

すべてをお見通しの男・乃木憂助

この構造を一身に背負っているのが、堺雅人演じる乃木憂助だ。
乃木は常に数歩先を読んでいる。視聴者が「えっ、どういうこと!?」と混乱している画面の隅で、乃木だけが何とも言えない意味深な表情を浮かべている。

そして後になって、「実はあの時点ですべて把握していました」とネタバラシが入る。「いや、どこまで知ってたんだよ!」とツッコミを入れずにはいられない。普通のスパイドラマならご都合主義に見えかねない展開も、堺雅人の圧倒的な説得力と怪演によって見事に成立してしまう。

「考察させること」自体がエンターテインメント

そう考えると、『VIVANT』は視聴者に謎を完璧に当てさせるドラマではないのだろう。「裏切り者は誰か」「あの死は偽装なのか」とあれこれ考察させ、盛り上がったところで鮮やかにひっくり返す。つまり、「考察を楽しむ時間そのもの」を提供してくれるエンタメなのだ。

リアリティを追求して「そんな都合よくいくか?」「乃木が無敵すぎるのでは?」と身構えるより、「はいはい、どうせ今回も乃木の手のひらの上でしょ」と構えるくらいがちょうどいい。

  • 「今回は誰が裏切ったフリをしているのか?」
  • 「誰が死んだフリをしているのか?」
  • 「乃木はどんな手を使ってひっくり返すのか?」

予定調和を逆手にとった、極上のエンタメとしての楽しみ方がここにある。

最後に行き着くのは、やっぱり堺雅人の表情

結局のところ、乃木の表情こそが最大のスパイスだ。何かを察した顔、すべてを掌握している顔、そして視聴者には何も明かさない涼しい顔。「その顔、絶対もう何か仕掛けてるだろ!」とツッコミを入れながら画面に見入ってしまう。

真剣に頭を捻って考察するのも面白い。しかし、あえて「どうせ全部知ってるんでしょ」と笑いながら観る。『VIVANT』は、そんな肩の力を抜いたスタンスで楽しむのが、一番贅沢な鑑賞法なのかもしれない。





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です