押井守の新作ボトムズ『灰色の魔女』――期待しかない。でもATだけが少し気になる

はじめに

押井守がボトムズを作る。

 

この組み合わせを聞いたとき、最初に思ったのは「いや、これ絶対合うだろ」だった。

 

『機動警察パトレイバー』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、そして『人狼 JIN-ROH』。押井作品には昔から、兵器に独特の「重さ」がある。そこへ『装甲騎兵ボトムズ』だ。

 

戦争、兵士、巨大組織、使い捨てにされる人間。そして、ヒーローロボットというより工業製品に近いAT(アーマードトルーパー)。どう考えても相性がいい。しかも音楽は川井憲次。期待するなという方が無理というものだ。

 

ただ、一つだけ気になっていることがある。ATのデザインと、その「質感」だ。

 

自分にとってボトムズは、やっぱり大河原邦男のATなんだと思う

公開されている『装甲騎兵ボトムズ 灰色の魔女』のATを見ると、これまで親しんできた大河原邦男デザインのATとはかなり印象が違う。もちろん新作だからこそ新しいデザインに挑戦するのは自然だし、昔とまったく同じものを出せばいいという話でもない。

 

それでも少し引っかかる。

 

考えてみると、自分にとってボトムズという作品は、キリコという主人公だけでなく、あのATの姿そのものだったのだと思う。

 

特にスコープドッグ。

 

  • 頭が大きい
  • 胴体は箱のよう
  • 手足が無骨に太い
  • 装飾らしい装飾がほとんどない
ガンダムのような「主人公が乗る特別な機体」ではない。軍が大量発注した安価な量産兵器であり、壊れたら直し、直せなければ捨てて別の機体に乗り換える。その徹底した工業製品感こそが、ボトムズの世界観そのものだった。

 

手描きのATが持っていた「重さ」とアニメーターの想像力

もう一つ気になっているのがCG表現だ。今のアニメーションにおけるCG技術を否定するつもりはないし、CGだからこそ可能なダイナミックな表現も多い。

 

それでも昔のボトムズを見返すと、どうしても「ATは手描きの方が圧倒的にカッコいい」と思ってしまう。特に『野望のルーツ』や『ザ・ラストレッドショルダー』の戦闘シーンだ。

 

ATが走る、止まる、着地する、撃つ、被弾する。その一つひとつの挙動に、圧倒的な重量感がある。

 

架空の兵器である以上、本当のスコープドッグがどう動くのかなど誰にもわからない。それなのに手描きの映像を見ていると、「数トンの鉄の塊なら、たぶんこう動くはずだ」と納得させられてしまう。

 

  • 着地した瞬間にグッと沈み込むサスペンション
  • ローラーダッシュから急停止した際、わずかに慣性で持っていかれる上半身
  • 旋回時に一瞬遅れて追従するフレーム
  • 発砲時の強烈な反動と、被弾して吹き飛ぶ装甲板
これらは物理演算の正確さというより、アニメーターが頭の中で思い描いた「重量の解釈」が一枚一枚の作画に込められているからこそ生まれるリアリティだ。多少デッサンが崩れてでも表現される「重さのケレン味」に、自分はずっと惹かれていたのだと思う。

 

CGの精密さと「軽さ」のジレンマ

一方、3D CGは形状として極めて正確だ。アングルが変わっても破綻せず、細部のディテールも完璧に維持される。

 

しかし時として、その精密さゆえに「プラスチックの模型」のように軽く見えてしまうことがある。CGモデル自体には質量が存在しないため、加速、減速、接地、振動、カメラワークといった演出を綿密に設計しなければ「鉄の重み」が立ち現れてこない。

 

もちろんCGでも重厚な表現は可能だ。手描きなら重く、CGなら軽いと単純化したいわけではない。ただ、アニメーターの身体感覚を通した「嘘とリアリティ」のバランスを、CGでどこまで再現できるのかが気になってしまう。

 

『人狼』で見せた押井守の質感と、川井憲次の音

そんな不安を抱きつつも、やはり期待してしまう根拠がある。押井守というクリエイターの存在感だ。

 

『人狼 JIN-ROH』(原作・脚本:押井守 / 監督:沖浦啓之)で、プロテクトギアを装着した兵士が地下水路を歩くシーン。ただ歩き、銃を構え、撃つ。そのすべてに圧倒的な質量が宿っていた。押井作品に通底する「兵器の手触り」へのこだわりを見れば、CGであっても生半可な軽さでは終わらせないのではないか、という信頼がある。

 

さらに音楽は川井憲次だ。『機動警察パトレイバー the Movie』『パトレイバー2』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と、押井守の映像と川井憲次の劇伴は常に一体となって世界観を構築してきた。

 

台詞を排し、風景と兵器の挙動を見せ、そこへ川井憲次の音楽が重なる。ATがローラーダッシュで地面を削り、薬莢を撒き散らしながら進む戦場にあの旋律が流れる光景を想像するだけで、期待値は跳ね上がる。

 

キリコ不在の戦場だからこそ描けるもの

公開情報を見る限り、今作はキリコを中心とした物語ではなさそうだ。この点も個人的には大いに歓迎している。キリコとフィアナの物語はすでに語り尽くされた感がある。

 

無理に伝説の主人公を引っ張り出すのではなく、アストラギウス銀河の片隅で起きていた「名もなき兵士たちの戦争」を描いてほしい。

 

名もない兵士がATに乗り、機体が壊れ、乗り換え、仲間を失いながらも戦線が維持されていく。そんな冷徹なボトムズの真髄を押井守がどう調理するのか、純粋に観てみたい。

 

最初のATが動いた瞬間、答えは出る

結局のところ、自分が『灰色の魔女』で一番見届けたいのは「最初のAT戦」なのだと思う。

 

新しい機体デザインへの違和感も、CGに対する懸念も、画面の中でATがズシッと着地し、ローラーが火花を散らし、反動で装甲を軋ませた瞬間に「ああ、これはボトムズだ」と思わせてくれれば、すべて杞憂に変わる。

 

大河原邦男が築いたデザインの礎。

 

昔のアニメーターたちが手描きで刻み込んだ質量。

 

髙橋良輔が生み出した乾いたミリタリズム。

 

昔の焼き直しを求めているわけではない。ただ、鉄の重さ、銃の重さ、そして人間の命の軽さが同居する「あの質感」だけは受け継いでいてほしい。

 

不安はある。だがそれ以上に、動くATと押井演出が交わる瞬間が待ち遠しい。画面の中で最初の鉄の塊が起動したとき、自分の中の答えは出るはずだ。



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